ニコラ・ルベック氏: リュ・グロレからリュ・ルベックへの転換

ニコラ・ルベック氏はおそらくリヨンの料理界において最も論争の中心となっており、またポール・ボキューズ氏に次いで話題となっている人物だ。アラン・パサール、 ジャン =ピエール・ヴィガト 、そしてプルセル兄弟のもとで修行をつんだ後、2000年に27歳の若さでリヨン旧市街にある四つ星ホテルである la Cour des Loges のシェフとして就任。2004年にはLogesにて最初のミシュランを獲得。さらには同じ年にグロレーに自分のレストランをオープンし、また2007年には二回目となるミシュランの星をふたたび獲得するに至っている。

ミシュランはシェフとしての成功をはかるための唯一の基準ではないが、それでも彼が美食学を放棄し、エア・ターミナルの中のレストランとコンフルエンスと呼ばれる地域にある300席からなるブラッセリーを設けた際、マスコミ等で騒がれた。コンフルエンスはリヨンの小島の一番南にあり、ローヌ川とソーヌ川が合流する 現在、ヨーロッパの中で一番発展プロジェクトの中心地域となっている場所でもある。

この数年の間にも彼は7年にわたる歴史的プロジェクトとなっているパリのオペラ座の中に建造された L’Opera Restaurantの担当を依頼されたが、最終的にはそこを去っている。彼の企業家魂が評価を受け、彼は37歳の時にCGPMEから「2012年の企業家賞」を受賞。このような革新的な意志とメディアからの注目度もあり、彼は今ではリオンの名物男となっており、美食界においては常に噂の中心となっている。

この巨大なブラッセリーになぜ“rue Le Bec という名前を選んだのですか?

グルメ通りをつくりあげるためです。この敷地は2000平方メートルもあるのです。通常のレストランよりははるかに複雑なつくりとなっています。食料雑貨店やパン屋なども含まれています。アジアやラテンアメリカに旅行に行った際にコンセプトがうまれたのですが、一箇所をまわるだけでいろいろな商品が見つかるというそのアイディアが気に入ったのです。

つまり元のアイディアは海外のものですが、典型的にはフランスのお店ということですね。

その通りです、商品はフランス製のものしか置いていません。フランスの良質の商品やノウハウはとても評価が高いので。

10年間ルベックさんのスーシェフを担当された鷹野孝雄氏を前回インタビューしたのですが、彼は貴方がフランス人でないと言っていました。

(笑)私がフランス人らしくないと?どういう意味でしょう?

ルベックさんが日本人以上に厳格だからだそうです。

厳格なフランス人はいくらでもいると思います。中には甘い人もいるでしょうけど、それはどの国や文化でも同じことが言えると思います。無論、フランスと日本の技術をくらべるとしたらおそらくフランスで修行をした日本人のほうが先に技をすぐさま習得することでしょう。日本には非常に厳しい技の習得への手順があります、フランスではそれは失われつつありますが。 Champion du Monde でペーストリ部門やソムリエ 勝者に日本人が選ばれたのには当然わけがあります。選ばれるには並外れた努力が必要であり、日本人は常に努力を重んじる文化を大切にしています。その文化は今ではフランスにはありません。努力、ノウハウ、敬意、秩序、これら全てが大事なのです。

ルベックさんは自分がフランスにいる他のシェフより厳しいと思いますか?

いいえ、特にそうだとは思いません。確かに私は厳しい面は持っています。皿全てがまったく同じであることが必要なのです。ある程度の厳しさは絶対に必要ですし、それは譲れません。単にいいシェフではなくすばらしいシェフであるためには常に厳しさが必要だと私は思います。世代によっては多少は違いは出てくるとは思われますが全体的に見れば仕事そのものは今でも軍隊のように行われていると思いますよ。

シェフとしてのキャリアはとても若いうちから始まったと聞きましたが。

私の家では誰も特に料理はしていませんでした。私の母は料理が上手ではありましたが、それだけです。13歳の時にホテリエーの学校に入学し、16歳の時にそこを出て80年代にニューヨークに働きに出たのです。私はブルトン人なのです。50年代と60年代はブルターニュにはあまり仕事がなかったので家族の何人かがニューヨークにうつりました。そこでレストランの経営を始めたのです。

1980年から1990年にかけてはジョエル・ロブションの時代でしたね。まるで軍隊の行進のようでした。 彼は優秀さと急迫の象徴のようなものだっと思われます。(そして1990年から2000年にかけて変化がおこり、時代はアラン・デュカスのものとなりました。ここではどちらかというとマネージメントが重視されていました。)私にはどうしても秩序が必要であり、ロブションはまさにそれでした。私は彼をテレビで見て彼に関する記事を若い時に読みました。ロブションの急迫さ、材料への敬意、情熱、文化、表には出てこない裏手の人たちのサポートや活躍、これらの全ての今日の私のもととなっているのです。

この秩序は私の家族からも来ています。私の祖父はとても秩序を重んじる人でした。それと同じ価値を私は自分の仕事に見出しています。自分の中の長所を見つけるために必要なものでした。 私は料理に興味を持ってはいましたが、外科医か戦闘機のパイロットになろうかとも思っていました。この三つの分野にはいずれも真の秩序が必要とされていると思います。

その秩序というのはニューヨークで身に付けたのですか?

いいえ、私は当時たったの16歳、未成年でした。目立たない場所で仕事をしており、しゃれた料理を習っていはいませんでした。ただのフランス風の宿屋のような場所で働いていたので。しかしいろんな民族のミックスを目の当たりにしたのです。レストランで働いていたのは主に私の家族でしたが、裏手のほうでは私が見たこともない色々な人種や国の人たちが働いていたのです。ニューヨークのそういうところが好きでした。今でもこういった色々な民族の多様性というのは私にとっては大事なことなのです。

鷹野さんは貴方が自分のやること全てにおいて一番でないと満足しないと言っていましたが。

私はお客様たちに対しては常に一番でいる必要があると思います。私はまったく満足できない性質なのですが、私に取ってはそれが普通です。これはいいことでも悪いことでもあると言えるでしょう。それゆえの厳格さです。けどそれが私を常に何かを得るために奮闘させ、さらに高みを目指そうと思うのです。

つまり常に自分自身と競争をしているのですね。

もちろんそうです!

あまり睡眠を取らないそうですね。

そうですね(笑)、大体3、4時間でしょうか。

そのような状態で大丈夫なのですか?

ええ、もう何年もこういった感じで続けています。

ということは旅行にも行かれないのでしょうね。

私の旅行はビジネス旅行ですよ(笑)

常に健康そうでいらっしゃいますね。

もちろん!仕事はまずは健康第一って言いますから、そうですよね?単に自分が好きで情熱を感じるものであればそれは仕事ではありません。義務でやることとはまったくの別物なのです。私はいままで常に自分のやりたいことをやってきました。それが私の動力の源です。お金がどうの、というものではありません。

このブラッセリーに建設にはどれくらいかかりましたか?

2007年にプロジェクトが開始されました。元のビルのデザインがかなり貧相なせいもあり、二年をかけてじっくりと案を練りました。そして2009年からさらに二年間かけて慎重にプロジェクトを進めていったのです。

2007年にあなたは二度目のミシュランの星を受け取っています。ルベックさんにとってはこれは大事でしたか?

いいえ、別にそれが私の最終ゴールではなかったので。そのつどベストを尽くす、それが私のゴールです。たとえば今日、400人のお客様の料理を用意することになったとしましょう。ゴールはそれにベストを尽くすことなのです。これは他の人から見てすぐにあからさまに分かるものではありません。

ただ、ミシュランの星の影響で国際的な注目を受けることとなりました。私のように旅行が大好きな人間にとってはこれは最高です。色々な人に会ういい機会ですし、仕事そのものよりもその国の文化にふれることがうれしいですね。

グロレーにはタバタ、フロリアン、タカ(鷹野)、アクセル(今はロブションのシェフ)がいて、すばらしいチームでした。丸四年間、常にフルのブッキング状態でした。一日に100食も用意していたものです。美食関連のものであり、常に忙しい状態だったのでレストランの中は常に活気であふれていました。我々は日々の仕事と作業に没頭しました。私は常にキッチンにいたせいもあり、まったくお客様と会うことはありませんでした。今、その店に戻ってみたらとても小さく感じてしまうのですから面白いですね!

では三つ目の星をもらうということは考えていなかったのですね。

一回目と二回目の時も特にほしいとは思っていませんでしたね。

美食関連のレストランから巨大なブラッセリーへの変化というのは大きなものですよね。なぜここまで極端にちがうものをやってみようと思ったのですか?

前のレストランでは我々は一日20時間をキッチンの中で費やしていました。常に忙しい状態であったにもかかわらず、正直あまり儲けてはいませんでした。常に最高級の食材のみを使っていたので。質に対して値段はかなり安めの部類に入るものでした。パリにある同じ程度の店と比べればはるかに安いものでしたがそれでもここ周辺の人たちは「まぁ、なんて高いのでしょう」と外にあるメニューの値段を見てはそう口にしていたのです。これは問題でした。値段だけに目がいってしまい、我々がいかに努力をしているか分かってもらえていなかったのです。 もし我々が充分に儲けていたのであればなにも一日20時間も働く必要はなかったでしょう。我々は仕事に対して情熱を持っているからこそそうしていたのです。

違う形で自分の仕事をしてみたい、というのも当然ありましたね。裕福な人たちのみに料理を提供するのも嫌だったので。ブラッセリーではお客様の中にはお子様もいらっしゃいます。色々な年齢層のお客様がきてくださるのです。二つ星、あるいは三つ星レストランと同じ質の料理を提供しているのです。だからこそ私は前の店を出たのです。

けど私はやはりキッチンにいたいのでまずは上の階に15の席を用意して様子をみようかと。一月にオープンします。私が直接料理を用意します。誰も私の隣にいない状態がいいのです。専門家や技術者はいりません。ただ材料と、私と、お客様、これだけしておきたいのです。

ということは今回の試みはお金関連だったととってもいいのでしょうか?

お金のこともありますし、私自身のこともあります。私はあまり長いこと同じことをやる、ということが好きではありません。サイクルのような生活が好きではないのです。

パリにあるオペラ座のPalais Garnierのシェフになる予定だったと聞いています。いったい何があったのですか?

そのプロジェクトは二年間、進まない状態でした。するとある日、私は「四月、パリにてニコラ・ルベックが最大規模のテラスをオープン予定」と書かれた記事を目にしたのです。私はその記事に関する情報は一切前もって聞かされていませんでした。そこで私はパリに実際に行き、なにが起きているのかを確認しに行きました。2010年11月、我々は話し合いを行いました。彼らは「色々と予定が変わった。君には月曜日だけでなく、週五日働いてもらいたい。逆に我々は一日24時間働こう」と言ってきました。実際、私はたとえ一日24時間働けといわれたとしてもあまり問題だとは感じなかったでしょう。ただ、店内のインテリア・デザインがどうしても好きになれなかったのです。 見回すとまるでクリニックの中にいるような気分でした。私は自分の職場を自分流に飾り付けをし、デザインすることに慣れきっています。私は全てのデザインをてがけました。私は「私自身」の世界にいないといけないのです。

週に五日パリにいないといけないのは問題だったので、それに対しては「私はオーナーシェフで、130人の人たちが私の下で働いてします、無理です」と言いました。私は気軽にお手軽に動かされるような立場ではありません。私はリヨンに自分の部下130人をおいてきて自分だけ五日間パリにいる、などということは出来ません。そんなことをすれば半年もたったころにはリヨンはおしまいでしょう。

どこか他の場所でもレストランを始める気はありますか?

リヨンのあとは海外ですね。ブラジルか、中国か、シンガポールか・・・私は一生キッチンにいるとは限りません。ここまであれこれやりきった後ならばそろそろ何か他のことを始めてみる、というのもありかもしれませんしね!(笑)

国際的なビジネスモデルとなっているアラン・デュカスグループなどについてはどうお考えですか?

このようなモデルはあまり長続きはしないと思います。近いうちになくなるでしょう。全世界が不景気を体験していますし、人々は気軽なレジャーを求めていると思います。投資家側からすれば、レストランは利益をあげないと意味がありません。80年代、90年代は偉大なシェフの称号はわりと低価格で手に入ったことでしょう。しかし今日ではアラン・デュカスといういわゆる彼のブランド名を使うためのライセンス料金、スタッフ、高級な材料、豪華なインテリアが必要となりますので、これでは一日15席分の料理の代金しか出せないでしょう。

「我々は世界中に店を持っています」と言いたいがために新しくレストランを増やし続けるのはまるで過食症のような状態だと思います。このような現象は長くは続かないでしょう。少したてば前の状態に戻ると思います。シェフというのはキッチンにいるべきものなのです。世界中の人たちがその人に会いにやってくるのです。シェフは飛行機に乗ってあちこち飛び回るものではありません。

さらにフランスでは労働時間の限定のせいもあり、トレーニングの時間にも制限があります。以前ではたとえ何時間かかろうとも技を習得するために長時間キッチンにいたものです。昔はそれが当たり前でした。キッチンで時間を過ごすのが何よりの楽しみだ、という人たちがいたからこそ偉大になったのです。今では人は微妙な立ち位置にいます。彼らはいずれは偉大なシェフになりたいと願っていても、結果的にそれがかなうのは彼らのキャリア人生のかなり後半になってからでしょう。能力のレベルにおいてはこれはいずれ問題となるでしょう。

ここには70人という大人数のチームがいると聞きましたが。

最初は70人で始めました。今は56です。キッチンの中には大体15から20人いますね。レストランは280席あるので一日1200人のお客様の料理を用意します。かなりの重労働ですね。

ルベックさん日々の仕事は変わったのですね。貴方は今は毎日キッチンにいる状態ではない、と。

いえ、毎日いますよ。毎日ドアを開け、ドアを閉めるのは私です。とはいえ、現実問題、事務関連の仕事、トレーニングなどはかなりの時間を費やします。だらこそ私は上の階にある小さなキッチンに行きたいのです( Place Rougeというレストランの上にあるプライベートのラウンジのこと)一月から私は一年間、そこにいようと思います。ここまで大規模なことをした後はまた小規模ながらもしっかりと集中できるような仕事に戻りたいと思うようになったのです。

プロジェクトのための新しいアイディアはどこからうまれるのですか?

気持ちや感覚を通して、ですね。耳から入ってきたものだったり、状況によって現れたり、自分で気付いたり。私の脳は常に回転しています。

ルベックさんは直感にもづいて行動をしているのですね。

その通りです。直感ですね。あっている時もあればはずれる時もある。どちらに転んでも、自分にだけ責任がありますからね、まわりを責めることもありません。

自分で全てをやることが出来たからこそ今の成功があるのだと思いますか?

そうですね、腕のいい人たちで自分を囲むよりは自分で仕事をする、というほうが好きですね。自分の直感ですから自分で行動を起こしたいのです。待つことも嫌いですし。仕事に関してはこうですね。

(インタビュー:池地恵理   2011年12月16 日 リヨンにて)

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